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2007年3月11日 (日)

アメリカでは、研究は女性の仕事?

前回、アメリカ人は、理系研究者になりたがらないという話題を書いた。

しかし、アメリカ人の中でも、女性は比較的この職業に寛容で、実際、アメリカ人でポスドクになっている人の多くは女性である。

彼女達に話を聞いてみると、それは、日本で女性が芸術家や音楽家を目指す人が多いことの理由に似ているようだ。日本では、美大や音楽大学では、女子学生の数は男子生徒の数より圧倒的に多い。日本でも、男性が音楽家を目指すとなると、よほどお金持ちか何かでないと、なかなか家族を食わせられるぐらいに成功することは、そう簡単ではないと考えて敬遠するひとが多いのだろう。女性なら、例えば、プロのピアニストになれなかった場合でも、ピアノの先生でやっていけばいいと、音楽大学などに入学して、その道にチャレンジしやすいとことと似たイメージである。

実際、博士課程で出会ったカップルで、男女ともに博士をもっている人は、彼のほうは、博士修得後、製薬会社に就職し、彼女の方はポスドクでアカデミックの道を目指すというパターンをよく耳にする。

アカデミックの研究者では、食っていけるかどうか、リスクが高いので、そんな賭けに出られるのは、女性のほうが多いということなのだろう。

これを反映してか、アメリカでの女性教授の多さに驚かされる。まわりを見ると、3分の1程度は、女性である。

これは、日本では考えられないことである。私の出身の大学の学科では30人程度いる教授陣の中で女性は皆無だった。

アメリカでは教授だけでなく、大学の学部長、学長レベルでも女性が就任していることが珍しくない。先日、ハーバードの学長に女性教授が就任したことは記憶に新しい。

男性のほうが、数学など論理的な思考に強く、女性は情緒的で客観性に欠けるなどという発言をたまに耳にするが、私の経験では、サイエンスの能力において、男女の差はほとんどないと感じる。男女の差などは、あったとしても微々たるもので、それ以前の、個人の能力の差は甚大である。博士をとっても、大学の教官のポジションを得てかつ、研究を続けられるだけのグラントを確保できるのは1割程度でしかないこの業界では、男女の別なく、優秀な研究者として生き残れる人はそう多くはない。

私は、アカデミックの研究者という仕事は女性に向いているのではないかと思う。特に、子供を持つ女性には、融通が利く仕事だと思われる。

客相手の仕事ではないので、勤務時間帯の自由度はかなり高いし、休みも取りやすい。また、教授になれば実験以外のデスクワークが増えるので、自宅で仕事を進められる部分も多くなる。さらに、アプトプットは必ずしも時間に依存しないので、アイデアと技術さえよければ、短期間でよい業績を上げることも十分可能である。

他にも、出産のために一時期仕事を離れても、「博士」や「教授」という肩書きは世界共通の資格のようなものだし、「論文」という他人から評価しやすい業績があるので、次のポジションを得られやすいだろう。

企業の中では、研究という仕事の性質上、誰が貢献したか評価しにくいことが多く、企業秘密でその業績も公開されないので、他社に再就職する際には、自分の業績をアピールすることが難しい。

研究者で大成功しなかった場合、家族をもつ男性であれば、年齢的に40歳過ぎてポスドクというのは、収入的にも厳しく、実際にあまり聞いたことがないが、女性であれば、旦那が他の仕事でしっかり稼いでいれば、ポスドクの給料でも十分だろうし、客員研究員のような身分で、ハードでない勤務時間で子育てをしながら研究を続けているひともよく見かける。

しかし、何が日本での女性研究者の数を減らしているのだろう?

もちろん、ひとつは古い考え方の教授陣が「研究は男の仕事」と考えている部分があるからだろうか。口には出さないが、教授陣に女性が増えると居心地が悪いと感じる大御所の人たちも多いのかもしれない。

2つめに、そもそも、「女性で研究者になりたい」というひとが少ないのではないか。欧米では「キューリー夫人」のように女性の研究者で大成した偉人が古くから存在するが、日本ではあまり聞かない。湯川秀樹や、野口秀雄の世代の科学界の偉人に女性は見当たらない。歴代ノーベル賞を受賞した日本人も全員が男性である。

日本でも、そんな「女性の有名研究者」が出てくれば、研究者を目指す女の子達がふえるのではないだろうか。

私たちの世代で、女性研究者が少し増えたという話を聞いたことがある。それは、女性の理系への興味とともに、アニメなどの影響もあるのではないかと、個人的には思うところである。例えば、マンガ「動物のお医者さん」は、私たちの世代の研究者志望の若者達に絶大な影響を与えていると思う。この漫画には、一般にはあまり知られていないバイオ系研究者の生活が描かれており、女性が活躍する話の内容である。この業界の多くの人が、若い時代に読み、将来の選択肢として研究者を意識したのではないだろうか。

そういえば、アメリカでは「キム、ポシップル」という、女性が主人公のディズニーの理系漫画があり、子供に人気である。アメリカでは、こうやって、次の世代の理系研究者が育っているのかもしれない。

日本でも、女性が活躍する理系漫画が増えれば、研究のフィールドで女性が活躍する機会が増えていくのかもしれない!?

2007年3月 2日 (金)

アメリカの研究を支えるのは外国人

意外なことだが、アメリカのラボでは、アメリカ人は少なく、外国人が多い。

私は、アメリカのラボに来たのだから、当然、アメリカ人の研究者が多いのだろうと思っていたが、周囲のラボのメンバーを見渡すと、中国人が半分、残りの半分をロシア人とインド人、中国以外のアジア人で三等分したような人口構成である。アメリカで生まれ育って、アメリカの大学を出たという研究者は滅多にお目にかかれない。

何人かの他のアメリカの大学に留学している友人に聞いたところ、この現象は、ハーバードだけでなく、アメリカでは一般的なことらしい。

そして、それはバイオに限らず、情報系、機械系でも同様だと言う。

聞くところによると、アメリカのアカデミックにおける理系研究者の90%がアメリカ人でない外国人であるそうだ。

これはいったいどうしたことか?

アメリカの産業を支えている理系の研究。

その根底である大学研究機関がアメリカ人以外の外国人によって支えられているとは。

ラボにいる数少ないアメリカ人にそのことを聞いてみた。

こんな答えが返ってきた。

アメリカでは、職業を選ぶときにまず、「給料」だという。

まず、学生に一番人気は、弁護士、金融系などの文系の職業。こういった職業は、上は数億円の給料が望める。まさに、ミリオネア(億万長者)になれる可能性がある職業である。

理系なら臨床医。アメリカでは、日本と違い、医者の給料は高く、勤務医でも平均2000万円から4000万円程度の給料が与えられる。

だから、アメリカの勉強ができる若者は、大学を出たら多少の社会経験を積んだ後、ロースクールか、メディカルスクール、ビジネススクールに通う。そして、臨床医、弁護士、コンサルタントや金融系などの高給の望める専門職を目指す。それが王道であるそうだ。

万一、どうしても理系の実験が好きで、博士課程に行くことを選んだ場合も、博士修得後は、そこそこ給料の高い、製薬企業を目指すか、または、バイオベンチャーを自分で造ることを目指すということだった。製薬企業に行けば、若くても、博士であれば、いきなり1000万円ぐらいの給料を得られるし、バイオベンチャーは当たれば、ミリオネアになれる。

そういわれれば、アメリカのテレビ番組では、「億万長者」を意識した番組が人気である。「ミリオネア」という番組は私も良く見ているのだが、素人の番組出演者が夢を語り、最高、1億円をその場で手にするといいうエンターテイメント番組である。

もうひとつの億万長者系人気番組は、「アパレンタス」。大富豪であるトランプ氏が、ビジネススクールなどを出たエリートの若者に、ビジネスプランを実行させるという番組である。優勝者は、トランプ氏率いる財閥の幹部としての道が開けるというもの。これらの番組は、日本人からみればお金が前面に出すぎていて、少しいやらしいとさえ感じるが、アメリカでは人気を博している。この国でのお金持ちの意味合いは日本とは少し違ったところがあるのかもしれない。

彼らにとって大学などのアカデミックの職とは、薄給の博士課程(年収200万円程度で5,6年年)、ポスドク(年収400万円程度で3から5年以上)と10年あまりの経済的に恵まれない時代を過ごした後、やっと助手になっても、年収800万円程度からスタートと、全く労力に見合わない職なのだろう。ある意味、理にかなった選択のようだ。

では、日本の学生は、どういった仕事を目指すのか?「理系離れ」が問題になりつつも、アメリカほど極端ではないだろう。「給料の額は全く気にしていない」という人は少ないとしても、ある程度、「金より名誉」、「武士は食わねど高楊枝」というところが文化的にあるのではないか。「末は博士か大臣か」と、日本では「大臣」と並べられるほどに(?)、「博士」に価値があるとさえ言われるのだから。

日本では、大学教授への道は、公務員と同様に、勉強のできる学生にとって、ある程度、人気の職業である。医師にしても、開業医でない限りはアメリカほど高給が期待できない上に重労働を強いられるが、日本でも人気の職業で、医学部はいつの時代も難関である。

他の国ではどうかと、中国人や、ヨーロッパから来た研究者に話を聞いたところ、これらの国でもアメリカと違い、日本と似たような価値観があるという。これらの歴史ある国では、著名な学者は、貧乏でも尊敬されてきたし、実際、多くの社会貢献をしてきていることが、自然に若者の進路に影響するということだろうか。

しかし、アメリカの産業の根底を支えている理系研究職が、アメリカ人に敬遠されているというのは、この先数十年を考えるとまずいのではないか?

中国やインドが経済力をつけてきて、それらの国から来ている研究者たちが国に帰ってしまったら、アメリカの研究機関は空洞化してしまうのではないか。

これは、日本についても言えると思う。日本でも近年、「理系離れ」が問題になっているが、優秀な人材が理系研究者の職業を避けるようになると、「科学技術立国、日本」は、アメリカ以上に危なくなってくるのではないか。現状では、日本には、アメリカのように優秀な外国人研究者が大量にやって来てくれることは期待できない。この、アメリカの研究者の人口構成の状況には、日本の科学研究の将来を考えさせられた。

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